2017年 08月 10日
ワインの希少性
量を作る低価格な工業的なワイン。
もう1つは決められた区画から収穫量に限りのある農作物的なワイン。
希少性となれば当然後者になる。
好きな葡萄品種、国によってその希少性の価値観は様々だろう。
ここでは、希少性の高いワインがいくつあるか?
ではなく、希少性のワインをどう考えるか?
にスポットをあてる。
今回対象とするのは各国のピノ・ノワール種
(以下は全て順不同)
フランスのブルゴーニュ本家ならDRC、ルロワ、アルマン・ルソーのシャンベルタン、ジョルジュ・ルーミエのミュジュニー、ヴォギエのミュジュニーや今は無きアンリ・ジャイエなど。
カルフォルニアならキスラー、ウィリアム・セリエム、マーカッシン、シン・クア・ノンか?
たぶん、生産量と希少性を合わせるとピゾーニはそのレベルまではない。
もしくはガレージワインは違う意味で希少過ぎる。
ニュージーランドならアタランギ、フェルトン・ロードのトップキュベ。
などなど。
他にもあるでしょう。
自身がワインの高見を身に付けたい時に、このような生産者を買いたくなり飲みたい欲求が生まれます。
それはワインを飲む上で当然の事でしょう。
このような生産者の飲み頃ワインに出会せば、それは大変素晴らしく何にも変えがたい味わいを堪能できます。
しかし、シュチュエーションを考えた総合的なワインの楽しみになると、上記のワインではワインが勝ってしまいます。
ワインが勝っていけない事はありませんが…
ワインの高見にはまれば希少性からなる入手困難と価格高騰は避けられず、しかも必ずしもワインの味わいは自分に微笑んではくれない冷たい現実…(笑)
それでも多くのワインラヴァーは希少性を求めている。
私自身はDRCのワインをラ・ターシュまで飲んで高見を目指すのを止めた。(つもり)
それは、その先にあるロマネ・コンティの頂点を飲むのが怖くなったわけではない。
数あるワインは希少性だけで決まるものではないと、飲んできたワインが私に教えてくれたから。
それは、完璧主義の人と一緒に居たくないのと同じなのだろうか?
美貌に振り回されて、希少性を選んで我が身に微笑んでくれないのはワインを楽しむ事にはならない。
ある種の博打に励むならそれでも良いが、ワインを楽しむならある水準に達したら希少性や高価格(高得点)にばかり走らないはずだ。
飲み頃のタイミングをうまく掴める生産者ならグラン・クリュでなくてもプルミエ・クリュでもなくヴィラージュクラスでも楽しめる。
では、自身はそこまで見る先を見出だしたか?
と、言うと…
ようやく高見にはまらなくなった段階(笑)
そういうワインを絶対評価ではなく相対評価で見れるようになったからだろうか?
先にも書いたが、希少性の高い一部のワインはワインに対する思い入れが勝りすぎてしまうと、ワインを楽しむ方法がワインのみになってしまう。
私自身はワインのみに楽しみを見つけるより、周りの人と全体のシュチュエーションを分かち合いワインに感動したい。
とは言っても、ついつい希少性の高いワインが欲しくなってしまう自分に自制心を働かせている(笑)